私が作っています
定年退職しました。今日からはファーマーです。美味しいぶどうつくりに専念します。
今から10年前、祖父が始め、父母が数年つくり、それから叔父夫婦が作っていてくれた園を 土日を利用して 半分だけ作ることになりました。ちょうどその時同じ職場の先輩が 退職したので 手伝ってもらう事になりました。1年目 皆様にお披露目のつもりで 8月3日にぶどう狩りに 招待しました。100用意した紙コップが 無くなりましたので 盛況だったと思います。
お陰で面白くなって 今から思えば土素人が作った赤い小さいぶどうを 市場にも出さずに全て直売で 親しい人に買ってもらって、 翌年からは 全園作って現在では私の退職と同時に園を倍に増やし平成27年夏からはネットでも販売を試みる事になりました。
祖父のこと
- 昭和48年 ぶどう栽培を始める。
- 昭和55年より全園トンネル被膜にて秀品を生産出来るようになった。
- 昭和59年、 NHKが園を全国に中継放送する。
- 同年 宮内庁にぶどう献上
- 昭和61年 緑白有効章受賞(ネオピオーネ栽培の功績を認める)
- 昭和63年 カーター元大統領、 高知駅前第一ホテルにて賞味
- 平成3年 祖父89歳、 栽培を娘婿産田氏一家に依頼する。
- 平成14年 孫の私が叔父夫婦より栽培を受け継ぐ。
天の川 不老のしずく 露に凝り 彩に色濃き 葡萄なるかな
延岡市 杉本 さえこ氏
ピオーネの栽培に成功し,NHKが全国に祖父の功績を放映し一躍有名になりました。そして高知の市場から高値で各地へ買われていったのです。購買者の一人九州の歌人が祖父が80歳になってぶどうの新種の栽培を熱心にやって結果、美味な黒い大きなぶどうを作ったことを賞して 祖父に贈った歌が 祖父の自分史「不老の雫」の題名となっています。
そしてピオーネを高知の主要産物にしようと高知県も知事を中心に力を入れてくれました。当時の中内知事が宮内庁に祖父のピオーネを献上してくださりお返しに菊の印のある煙草を戴いたのも昨日の事のようです。
8月14日に子供たちが私の還暦祝いと前もっての退職祝いをしてくれました。
私の後ろに島田シェフ、和食支配人、私の長女と初孫、次男、長女の夫、左に長男、私たち夫婦の右に母。
嬉しい事いくつか
人から人へもりおか(森岡)ぶどう園のぶどうが伝わってくれています。
南様、吉岡様そしてこのぶどうを御家族で購入に来てくださった筒井様 有難うございます。
他に
先日 園の草刈をしていたら携帯が鳴ってなんということか 現代の名工に西洋料理の部門において四国では初めて選ばれた 島田シェフより℡がありました。 明日使いたいからとの注文、それなりの人は努力を惜しまないですね。こんな小さなもりおかぶどう園を見つけてくれて。後日 話していたら上欄にカーター元大統領が高知に来て祖父のぶどうを賞味したと書いていますが、その時のシェフが島田シェフでした。その時の料理とぶどうを元大統領がいたく褒められたので、金一封が出るものと期待したが 実際は出なかったと笑って話してくれました。
昨年は土佐市が、高知出身の直木賞作家、山本一力氏へのおみやげにもりおか(森岡)ぶどう園の高妻(たかつま)を選んでくれました。
そしてこれにも後日談が有り、上に出てくる吉岡様は山本一力氏が中学三年生で高知を離れて東京へ行くとき、高知駅で見送ったたった1人の特に親しい間柄で、もりおかぶどう園の大事なお客様でもあります。世間は狭いものです。
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